2012年3月18日日曜日

再録:シャーマンの祭り@ラダック・シェイ・シュゥブラ(1) 再録エッセイ本文

これは、旅行人 no.115(2001年6月)「特集ラダック」に掲載したエッセイの再録です。

おそらくシェイ(Shey/shel)のシュゥブラ(Srubla/srub lha/収穫祭)を紹介したのは、これが世界初ではないかと思います。発表媒体が超マイナー誌であったため、世間的にはほとんど知られていませんが、その記事を読んでシェイのシュゥブラを目指した旅行者はかなりいるようです。

このエッセイから引用したような文章も結構見かけますが、参考文献として挙げる者は誰もいないよう(相変わらずタダ乗りされまくりなんですな。ラダック関連では不快になることばかり)。

では再録をお楽しみください。後のエントリーで補足を入れます。

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シャーマンの祭り

毎年九月一日から十五日まではジャンムー・カシミール州観光局の主催で、ラダック・フェスティバルが大々的に開かれている。この期間中は、レーをはじめラダック各地の村で連日ポロ、弓くらべ、踊り、歌合戦などが催されている。これはもともと各村々でてんでに開かれていた収穫祭(シュゥブラ)を観光局が日程を調整し統合したものらしい。観客を意識したショー的な要素が年々強くなってきている気がするのは私だけか。

しかし各地にはこれに組み込まれていない祭りも多く、そこではまだまだ素朴な昔のままの姿を止めている。私が訪れたことのあるレー近郊スピトクのシュゥブラは、日頃農作業に家事にと忙しい主婦たちが、無礼講とばかりにチャンを飲み、実に楽しげに歌と踊りに興じていた。そこには観客はなく、真に自分たちを労うためにだけ楽しむ人々の姿があった。


祭りに参加するために着飾って集まった人々

ラダックの古都シェイのシュゥブラもやはりそういった古来の祭りの姿が残る貴重な場所だ。ラダック・フェスティバルには組み込まれておらず、私が出会ったのも偶然だった。こういった祭りは太陰暦に基づいて日付が決められているので毎年日付が変わり、いったいいつ開かれるかを事前に知るのは難しい。二〇〇〇年は九月七日だった。

シェイのシュゥブラではラバと呼ばれる神降ろしが大活躍する。ラバはラダック各地におり、儀式によりトランス状態となり神(ラー)を憑依させ、占いや神託を行ういわゆる「シャーマン」である。ラーは仏教とは関係ない土着の神々であることが多いが、シェイのラーは女尊(この場合は「ラモ」)で、ドルジェ・チェンモという仏教にも組み込まれている尊格(十一世紀の高僧リンチェン・サンポがチベットに導入したらしい)。よく見かけるパンデン・ラモという守護女尊と同体異名の尊格といわれ、事実シェイのお堂ではこの二尊が並んで祠られている。

さて、私が朝バスに乗ってシェイの前を通りかかると、道端に着飾った人々が鈴なり。これは見逃すわけにはいかない。すぐさま飛び降り、おばちゃんを捕まえて話を聞く。で、前述の事情が判明したわけだが、もう今日はここでラバの追っかけ(笑)をやることに決定。

ラバはまず朝早くからドルジェ・チェンモを祠った小堂に入り、村の世話役やオンポ(占星術師)と共に祈祷・儀式を行いこのラモを憑依させる。男性に女尊が憑依するというのはなかなかおもしろい。

大勢の村人と共に冠をかぶり着飾ったラバがお堂から出てくる。意外にしっかりした足取りだが、目はすでにアッチの世界に飛んでいる。睨まれるとちょっと怖い。かといって髪を振り乱したり飛び上がるなどの動作があるわけではなくおとなしいもんである。


馬に乗ったラバ(シャーマン)が村中を練り歩く

馬に乗ったラバはまずシェイ・ゴンパへ向かい、シャカ大仏の供養。お堂の前では楽隊が太鼓を叩いているは、ラバに捧げるカタ(白い絹のスカーフ)を持った村人が鈴なりに並んでいるはで、もう大騒ぎ。この群衆がラバと共に村のあっちこっちと大移動するのだから大変だ。道路はしばしば通行止め状態になる。

次にラバが向かったのは道の横に広がる池。ここでは池に住む龍神(ル)の供養。池にチャン(チンコー麦で作ったどぶろく)を注ぎ村の加護を祈る。一見仏教一色のように見えるチベット文化圏だが、民衆の間にはこういった土着の神々もいまだに息づいているのだ。

ラバは岩山の裏のチョルテン群へと進む。道々、神託を求めてチャンの瓶を差し出す人々に囲まれラバはもみくちゃになる。乗った馬が途中で具合が悪くなるほどの込みあいよう。ラバはその中から随時一人を選び、チャンを受け取り一口二口飲んでは神託を与えていく。のども渇くのだろう、ときどき瓶の半分も一気飲みすることもある。たまにチャンではなくウィスキーを差し出す村人もおり、そんなときはちょっとむせたりするのはご愛敬(笑)。しかし少しずつとはいえ、飲んでいる酒の量は半端じゃあない。大丈夫なのか、特に膀胱の方は?


チャン(どぶろく)をラッパ飲み

岩山の裏では台に乗っかり、来年の作況や出来事に関する神託をひとしきり大演説。皆ラバを囲み聞き入っている。おばちゃんたちの顔はにこやかだったから、きっといい神託が下されたのだろう。一九九九年から二〇〇〇年はラダックには悪い事件が続いたので、今年こそはいい年になってほしいものだ。

演説が終わるとチャンをラッパ飲みしつつ村人への神託が延々一時間も続く。なんともタフな仕事だ。見ているだけのこっちが疲れてしまう。

これが終わると、小学校、シェイタンのチョルテン群を巡り最終目的地トゥバ・ゴンパへ。この寺にもシェイ・ゴンパのものと瓜二つのシャカ大仏が祠られていることはあまり知られていない(こちらの方が古い)。ここでも神託を求める村人に囲まれ、寺へ入るまでには小一時間もかかった。寺ではシャカ大仏、ツェパメ(阿弥陀如来)の供養をこなし、最後のお堂へ。ここにもドルジェ・チェンモを祠ったお堂があり、ここでラモに帰ってもらうのだ。

二階にあるお堂の前はベランダになっていて、なんとラバはその狭い手すりに飛び乗り踊りながら歩き始めた。あれだけ酒を飲んでいるはずなのにこの軽業には群衆からも「おおっ」と歓声が上がる。このベランダからの演説を最後の晴れ姿として、ラバはお堂へと引っ込んで行った。


手すりに飛び乗って踊り歩くラバ

三十分後に疲労困憊といった表情で現れたのは、ただの三十男。先刻まで異様な光を放っていた目もすっかりどんよりとした凡人の目に戻っていた。

お寺の前に集まった群衆はいっこうに帰ろうとしない。それもそのはず、ここではこれから飲めや歌えの宴会が夜遅くまで続くのだ。傍らには露店も出始め、祭りはこれから佳境に入るともいえるのだが、ラバの追っかけですっかり疲れてしまった筆者はそこまではつき合いきれない。早々にシェイを後にした。

ラダックにはこのような素朴かつ奥の深い祭りが、まだあちこちで開かれているはずだ。あなたもガイドブックには載っていない祭りを自分の手で見つけてみてほしい。おもしろい祭りを見つけたら私にもぜひ教えて下さい(笑)。

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(追記)@2012/03/23
シェイ、シュゥブラのアルファベット表記を追加。

4 件のコメント:

  1. はじめまして。
    orubhatra様の著書には随分お世話になっております。
    さて、面白いお祭りを見つけたら、とありましたので、報告します。
    とはいえ、orubhatra様はご存知かもしれません。
    スピティとキナウルの境目あたりの村Giuで、見たお祭りで、旅メモには、「チョクラが憑依する」等と書いてありました。が、自分でもよく分かりません。その時の模様を拙ブログに記録してあり、また、その時の映像をYoutubeにアップしてあるので、お時間ある時にでも、ご覧下さい。
    「チョクラの憑依」
    youtube/https://www.youtube.com/watch?v=MVTAuUllckA
    「昼食の宴の後のフォークダンス」
    youtube/https://www.youtube.com/watch?v=gLM4YVGbe0E

    拙ブログ:yahoo/http://blogs.yahoo.co.jp/ratnaruni/folder/943152.html

     長文にて失礼しました。

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  2. Naruni Ratnaさんこんにちは。コメントありがとうございます。

    こちらこそNaruni Ratnaさんのサイトは楽しんで読ませていただいています。量が多いのでなかなか全部は当たれませんが。そういうわけで、ギュ(རྒྱུ rgyu)のシャーマンについても知りませんでした。

    このギュのシャーマンについてはちょっと調べまてみましたが、長くなるので別にエントリーを立てますね。

    今後ともよろしくお願い致します。

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    1. orubhatra様
      >楽しんで読ませていただいています。
      これはお恥ずかしい。
      拙ブログのうち、ラダックに関しましては、orubhatra様の著書からの引用、参考が多々あります。その際、必要に応じて、引用元、典拠は明記したつもりですが、不備がありましたら、ご容赦のほどを。

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  3. orubhatra様
    返信ありがとうございます。
    ギュのシャーマンについての調査結果、楽しみにしております。
    それから、orubhatra様には「旅行人」のサイトの、「ヒマーチャル・プラデシュ虎の穴」(だったかな?)でも随分お世話になりました。2003年頃を最後に書き込みがなくなったので、消息を気にしていました。偶然、このサイトに出くわしまして、記事や写真から、合点しました。
    今後ともよろしくお願いします。

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