2012年3月10日土曜日

チベット・ヒマラヤTV考古学(1) 1959年ラサ三月蜂起~ダライ・ラマ法王亡命関連番組

用意していたネタは他にあったのですが、3.10ということで、繰り上げて先にこちらをどうぞ。

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2012年2月5日日曜日 今後のアップ予定でお知らせしたように、第二次世界大戦後(から2000年頃まで)のチベット・ヒマラヤに関するテレビ番組を総ざらえする企画を始めます。

調査方法は、新聞縮刷版のテレビ番組表を1953年から毎日順にコツコツ当たり、本・雑誌・ウェブ上で追加調査をする、という実に地味な作業です。典拠をしっかり挙げることに特に注意を払っています。

その第1回目は、1959年のラサ三月蜂起~ダライ・ラマ法王亡命に関する番組です。

1953年に始まったTV放送は当時まだ黎明期。チベヒマ番組はまだ数少ないものの、今では驚くような内容のものも散見されます。

では始めましょう。

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【 1959~60年 ラサ三月蜂起~ダライ・ラマ法王亡命 】

1950年、チベットは中国共産党により「解放」という名の下に侵略・占領された。カム・アムドでは拙速な共産化、農政の失敗によりチベット人の不満が爆発し、各地で蜂起が頻発。難民も大量発生した。ウー・ツァンでは共産化は猶予されていたにもかかわらず、共産化政策はじわじわと進行。1959年3月、ついにラサでも民衆の蜂起が始まった。ダライ・ラマ法王は、チベット民衆と人民解放軍の衝突を回避するべく、ラサから脱出(にもかかわらず、多くのチベット人が虐殺された)。4月にはヒマラヤを越えてインドに入り、チベット亡命政府の樹立を宣言。当初はマスーリー(ムスーリー)に滞在したが、1960年にダラムシャーラー(マクロード・ガンジ)に移動し、本格的な亡命生活に入る。
参考:
・ダライ・ラマ・著, 木村肥佐生・訳(1989)『チベットわが祖国 -ダライ・ラマ自叙伝-』. 中公文庫, 東京.
・ダライ・ラマ・著, 山際素男・訳(1992)『ダライ・ラマ自伝』. 文藝春秋, 東京.

【ラジオ】録音構成 ラマ教の国 ダライ・ラマ
1959年春(25分) ニッポン放送

ラサ三月蜂起~ダライ・ラマ法王のインド亡命で注目が集まっているチベットを紹介。チベットの歴史・仏教・風俗など。法王自身が登場している可能性はないだろう。
参考:
・朝日新聞

TVルポ チベット国境
1959年夏(40分) 日本テレビ

産経新聞記者・野田衛がシッキムで取材。ラサ三月蜂起~ダライ・ラマ法王亡命の波紋を、国境を隔てて探る。注目の報道番組。さすがにチベット本土に入ることは不可能だった。現地の映像・スライド、多田等観のインタビュー(うわー見たい)、当時来日中だったカムパ貴族ロサン・ゲリの主張も放映。
参考:
・読売新聞

世界みたまま シッキム王国に招かれて
1959年夏(25分) NHK総合

同じく野田衛・記者の取材報告。
参考:
・朝日新聞

陛下と共に シッキム王国
1959年夏(30分) 日本教育テレビ(現・テレビ朝日)

出演:ペマ・チョキ、鷹司和子(昭和天皇第三皇女)ほか。
ペマ・チョキは、当時のシッキム王タシ・ナムギャルの長女で、チベット政府高官ゴンポ・ツェリン・ヤプシー・プンカンの妻。シッキムは当時まだ独立国。来日の目的は表敬訪問というのが表向きだが、実はダライ・ラマ法王の日本居住の可能性を探っていたようだ。
参考:
・朝日新聞

報道特集 失われたチベット ダライ・ラマ会見記
1960年春(30分) KRテレビ(現・TBS)

KRテレビ+ラジオ東京報道班がダライ・ラマ法王の初TV/ラジオ取材に成功。当時の避難先マスーリー(ムスーリー)でのインタビュー。日常生活、人生観、これからの道などを語る。チベット難民の生活も紹介。
亡命1年後にして早くもTVに登場。若き日の法王の映像は貴重なので、TBSはこの映像をぜひ発掘してほしい。次にダライ・ラマ法王が日本のTVに登場するのは1967年になる。
参考:
・読売新聞

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というわけで、次回は「ダライ・ラマ法王TV出演史(2000年まで)」です。

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