2014年4月3日木曜日

「イエティ」のチベット語スペル(2)

こうして見ると、「雪男」の名称は「mi rgod」と「gangs mi」を除いて、どれも「クマ」と区別がついていないようです。根深氏による「雪男=チベットヒグマ」説は説得力のあるところです。

現地人(たとえばシェルパ)が「イエティが出た」と言っても、「雪男が出た」と言っているのか、単に「ヒグマが出た」と言っているのか、それだけでは区別できないことになります。

こういった視点で、イエティ目撃・遭遇談(特に現地の方の話)を読み直して下さい。「イエティ」を「クマ」と置き換えてもなんら違和感ないものが、かなりあることに気づくでしょう。

外国人は、「イエティ」=「雪男」という先入観でこれらの話を聞きますが、「イエティ」=「ヒグマ」が出たという内容なのに、聞き手側が誤解しているだけのものが相当あると思われます。

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角幡(2011)が紹介している、

・レーフ・イザード、村木潤次郎・訳 (1957) 『雪男探検記』. pp.350.ベースボール・マガジン社, 東京.
→ 再発:(1963)べースボール・マガジン社(秘境探検双書), 東京./(1974/95)恒文社, 東京.
← 英語原版: Ralph Izzard (1955) THE ABOMINABLE SNOWMAN ADVENTURE. pp.302+pls. Hodder and Staughton, London.

によれば、シェルパの間では、「イエティ」を、大=「ズーティ」、小=「ミィティ」に区分しているそうです。「ズーティ」の方はヒグマに間違いないが、「ミィティ」の方が「雪男」か?と推測しています。前述の大中小区分とは異なりますが、それほど厳密に定まっているわけではないのでしょう。

これも「ズーティ」の意味がわかれば、「な~んだ」になります。つまり、

མཛོ་དྲེད་ mdzo dred (ゾテー) → ゾ(の大きさの)クマ

です。「mdzo」はヤクと牛の掛け合わせ。大きさもその中間ですが、人よりはかなり大きい。

「g-ya' dred(ヒグマ)」を、「mdzo dred(ゾの大きさのクマ)」と「mi dred(人の大きさのクマ)」に区分しているわけで、さらに「chung dred(小さいクマ)」という区分がなされることもあるよう。単に大きさよる小区分と思われます。たいした話ではありませんね。

「mi dred」が「人熊/人ともクマともつかないもの/人のようなクマ」ならば、雪男っぽくありますが、「人の大きさのクマ」の意味である可能性が高いのですから、これは単に「クマ」でしょう。

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根深(2012)は、正面から「雪男」の存在を否定するもので、ネパール各地で綿密な現地調査も行った上での結論ですから、説得力はかなりのものです。

角幡(2011)の方は、何か煮え切らない印象が強い。そもそも雪男に興味はなかった、と正直に書いておられるのですから、当然ともいえますが。心情的には否定方面に傾いているが、全面的に否定するほどつっこんだ調査はできていない、というところでしょうか。

根深(2012)のエッセンスともいえる

・根深誠 (2004) イエティの正体とはなにか?. 山と溪谷, 2004/02, pp.194-199.

も参考文献として挙げていますが、こんな重要文献なのにその主旨である「イエティ=ヒグマ」説については全く触れていません(追記参照)。「雪男実在説」にはあまりに不利な内容なので、なかったことにしよう、という感じ。

また、まともに否定してしまうと、この本に描かれている調査行自体が価値を大幅に減らしてしまうので、はっきりしない結論で終わらせています。隊の仲間への気配りもあるのでしょう。

良く言えば「ペンペン草も生えなくなるような結論にはしたくない、後世に『夢』を残したかった」というところかもしれません。

でも、『雪男は向こうからやって来た』という題名は、羊頭狗肉と批判されても仕方ないでしょう。その程度の批判は覚悟の上とは思いますが。

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角幡(2011)で最も重要視されている資料は、

(1)エリック・シプトンが報告した足跡
(2)スラヴォミール・ラウィッツの目撃談

の2つですが、もうそれだけで「雪男伝説」の底が見えてしまった感があります。これらは、雪男伝説史上の「二大怪しげ話」なのですから。

この2資料を除くとあとは、はっきりしない目撃談、不明瞭な足跡、すでに正体がわかっている頭皮、おとぎ噺と大差ない接触譚などしか残らず、「雪男伝説」は急に色あせたものになります。

ですから、この2説を大きく取り上げることによって、逆説的に「雪男の話に信頼度の高いものはほとんどない」という事実を知らしめたことになります。

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シプトンについての怪しげな噂(グレー・ゾーンといったところ)については、根深(2012)に詳述されていますから、そちらをご覧になれば充分でしょう。

ラウィッツの雪男目撃談を含む『脱出記』は、世界的に「ニセ冒険記」すなわちホラ話ということで評価が定まっていますが、不思議なことに日本ではいまだにノンフィクションとして扱われることが多いんですな。

日本語ではきちんと検証されていないからなんですけど、ラウィッツについては、いつかしっかり検証したいところです。やたらと手間と時間がかかるわりには、やってる方は楽しい気持ちにならないので、なかなか気乗りしないんだなあ。

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(追記)@2014/04/03

青字部分を以下のように訂正した。

訂正前: その内容については
訂正後: その主旨である「イエティ=ヒグマ」説については

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(追記)@2014/04/04

「イエティ」との遭遇談で、「イエティ」を「ヒグマ」と置き換えても違和感ない例を少し挙げてみましょう。

<ヒグマ>は私が挿入してみたものです。

┌┌┌┌┌ 以下、根深(2012)p.73より ┐┐┐┐┐

冬の朝、勤行を終えて息抜きに外へ出ると、ゴンパの前の広場を挟んで向かい側にある、雪の積もった「ハモガン」という小高い丘の斜面をイエティ<ヒグマ>が下りてきたのだ。数百メートルは離れているので、黒点にしか見なかったのではないだろうか。

どうしてイエティ<ヒグマ>だとわかったのか、という私の質問に、テンジン・ローティはこう答えた。

「みんながそう叫んで大騒ぎになったから」

イエティ<ヒグマ>の被毛は赤褐色だったという。

僧侶たちがあわてて大小さまざまな、儀式でつかう笛を持ち出してきて吹き鳴らすと、イエティ<ヒグマ>は斜面を横切って「ナグディンゴ」という谷の方へ逃げ去った。それから何カ月か後、雪が解けてからハモガンの麓でヤクの死骸が発見されたとき、それはイエティ<ヒグマ>の仕業だということになった。

└└└└└ 以上、根深(2012)p.73より ┘┘┘┘┘

これはヒグマが出てきたんで、人々は恐れて、大きな音を出して撃退した、というだけのお話でしょう。

訊く側が「イエティ=雪男」というつもりで訊いても、シェルパ側の認識は主に「イエティ=ヒグマ」というものでしょうから、会話がすれ違いになるわけです。

┌┌┌┌┌ 以下、根深(2012)p.230より ┐┐┐┐┐

「メテ<ヒグマ>は、その後どうしているかな?」

「いることはいるんだがな、ちかごろ出ていないよ」

└└└└└ 以上、根深(2012)p.230より ┘┘┘┘┘

これも、「ヒグマが出てるか?」と訊かれているつもりで、ヒグマについて答えている、という会話とみて矛盾は全くありません。

一番の喜劇は、1959~60年の日本雪男学術探検隊にイエティの毛皮を売りに来た老人の話でしょう。

隊員側はこれをヒグマの毛皮と断定して購入を断り、老人は雪男の毛皮のニセ物をつかまされたんだな、と考えたわけですが、これも日本側の「イエティ=雪男」という認識と、シェルパ側の「イエティ=ヒグマ」という認識がすれ違っているわけです。

老人は「イエティ=ヒグマ」の毛皮を探している外国人がいる、と聞きつけて、「イエティ=ヒグマ」の毛皮を持っていったのでしょう。すると、これはニセ物、「イエティ=ヒグマ」の毛皮ではない、と言われたわけですから、わけがわからなかったはずです。

双方ともそれがヒグマの毛皮という見解は一致しているのに、「イエティ」の解釈が違うことで、こういう滑稽な喜劇が出現してしまったわけです。

こういった例は他にも数多くあるはずですから、検証していく必要があると思われます。

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