2016年4月30日土曜日

ヒマーチャル小出し劇場(35) ラリ・ゴンパとコンチョク・オゼル師

ボツ・ガイドブックからのラマ・シリーズ在庫はこれで終わり。執筆当時調べきれなかったもうお一方も、なんとか調べてアップしたいところ。

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Lari ལ་རི། la ri/

スピティ・タボから東へ4km。街道北側の集落。リンゴ畑も多く、緑多い村。これよりスピティ川上流方面にリンゴ畑は見られない。

村の横の谷を2km上流逆上るとニンマパの隠遁修行の石窟寺院ラリ・ゴンパ。

村の西はずれの山裾には、白い基壇に杉の枝がてんこ盛りのラトゥー ལྷ་ཐོ་ lha thoが立つ。地元のユルラ ཡུལ་ལྷ་ yul lhaを祠ったものだろう。Francke先生は村の下手で原始的な岩絵を発見している。

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ラリ・ダクプク・ゴンパ ལ་རི་བྲག་ཕུག་དགོན་པ། la ri brag phug dgon pa/











ラリのすぐ西の谷を2km(1時間)ほど逆上った山中にある石窟ゴンパ。ニンマパ。参道にはチョルテンやマニ壇が立ち並ぶ。

コンチョク・オゼルという老ラマが、たった一人で生涯をかけた隠遁修行に励んでいる。周囲には廃屋が数軒あるだけで、他に住民はいない。

静かな谷間に白壁のゴンパがポツンと立っており、裏山には五色のタルシン དར་ཤིང་ dar shingがたなびく。ゴンパ横の巡礼路はきれいに整備されており、ラマの几帳面さが伺える。

四角いチョルテンと賽の河原のような石積みが果てしなく並んでいる。そこはかとなくシュクパ ཤུག་པ་ shug pa(ビャクシン)の香りも漂っており、ゴンパ一帯は清浄な空気にあふれている。まさに霊場と呼ぶのにふさわしい場所だ。

こういった性格の寺なのでチャム འཆམ་ 'chamの祭りもなく、ラリの村人の生活にはあまり密着していない。しかし、ここは近隣の住民には、知る人ぞ知る巡礼地として非常に崇められている。

ラリあるいはタボから充分日帰りできるが、もし宿泊する場合には是非テントを用意し、できるだけラマの修行の邪魔をしないよう気をつけたいところだ。

ゴンパには小さなドゥカンとその奥に石窟ラカンがあるだけ。

ドゥカン འདུ་ཁང་ 'du khangは小さなお堂。仏像はグル・リンポチェ gu ru rin po che、ドルジェ・センパ རྡོ་རྗེ་སེམས་དཔའ་ rdo rje sems dpa'の像があるだけ。左に入るとジムチュン གཟིམ་ཆུང་ gzim chung。ピン པིན་ pin谷グンリ・ゴンパ གུང་རི་དགོན་པ་ gung ri dgon paの座主Tulku Jigme Tenzin སྤྲུལ་སྐུ་འཇིག་མེད་བསྟན་འཛིན་ sprul sku 'jig med bstan 'dzinの写真がある。正面左がダクプク。

ダクプク བྲག་ཕུག་ brag phugは砂礫層に掘られた小さな石窟。銀製の美しいクドゥン སྐུ་གདུང་ sku gdungが4基にチャナ・ドルジェ ཕྱག་ན་རྡོ་རྗེ་ phyag na rdo rje像。

リンチェン・サンポ རིན་ཆེན་བཟང་པོ་ rin chen bzang poの伝記には、リンチェン・サンポが建てた21の寺院にラリ(または ལིརི་ li ri)が入っている。このダクプク・ゴンパがそれなのだろうか?実際このゴンパにはそれほど古い遺物は見あたらない。ダクプク下手の廃墟群や集落近くの廃墟群(Serlangという城跡もある)がそれかもしれない。

いずれにしても、リンチェン・サンポの寺院は過去のある時期に廃れたようだ。

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ラマ・コンチョク・オゼル བླ་མ་དཀོན་མཆོག་འོད་ཟེར། bla ma dkon mchog 'od zer/











ラリ・ダクプク・ゴンパで孤独な修行を続ける老ラマ。2000年時点で73歳だという。

出身は西チベットのツォシブ ཙོ་སྲིབ་ tso srib(スルスムジェ སུ་རུ་གསུམ་འཁྱིལ་ su ru gsum 'khyil 楚魯松傑)。ラリからは約50kmと近く、師にとっては近所のようなものだが、国境が閉鎖されて全く行き来ができなくなったのは不幸な話だ。師からは、かつて西チベット各地を修行した際のおもしろい話も聞かされた。

ラマは、長年このゴンパで隠遁修行を続けている。ニンマパ/カギュパは特にこの隠遁修行の伝統が強い宗派だが、コンチョク・オゼル師のそれは徹底している。

若いときにこのゴンパに居を構え、隠遁修行を続け数十年。めったに下手の村に降りることもなく、厳しい冬もここで過ごしている。それでも村人からの畏敬の念は篤く、食料やお布施を届ける信者は後を絶たないという。

隠遁修行のラマというとあやしげなイメージがあるかもしれないが、コンチョク・オゼル師は山奥に住んでいるとは思えないこぎれいな格好をしている。寺院やその周囲もよく整備されており、ラマのきちんとした性格がそのまま現れている。寺院・住居の門前にある花壇には、可憐な花がひっそりと咲いていた。質素な生活でのささやかな楽しみなのだろう。

スピティにはピン谷にニンマパの伝統が残っているが、コンチョク・オゼル師はこの伝統とも距離を置き、独特の修行を続けている。とても21世紀の話とは思えない、昔ながらの隠遁修行者といえるだろう。

私が訪れたときは、少ない食料の中からパンやツァントゥクを分けてくれ、恐縮してしまった。食事の後にはもちろんバター茶。その椀はと見ると中国製の瀬戸物。これでは隠遁修行のラマらしくないなあ。ということで、その時持っていた木製のチャボ ཇ་ཕོར་ ja phor(ラダックで買い求めたもの)をお礼に差し上げた。これは喜ばれた。

あまりの質素な生活を見て、思わず他にもいろいろな物をお布施に置いてきた。ラリの村でもらったリンゴやビスケット。他に差し上げるものが何もないのが心苦しい。ところがビスケットを渡したところ、「これから(Kinnaurの)タシガン・ロン・ゴンパ བཀྲ་ཤིས་སྒང་རོང་དགོན་པ་ bkra shis sgang rong dgon pa(注)に行くなら、これはそこのラマに渡してくれ。山奥の生活はむこうも大変だろうから」と。飽くまで謙虚なコンチョク・オゼル師の姿に感動した山奥の一日であった。

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と、これを書いたのが2002年ごろ。ラマは今もご存命であろうか・・・。

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(注)

Kinnaurのタシガン・ロン・ゴンパについては、こちら

2015年3月1日日曜日 ヒマーチャル小出し劇場(21) 国境の村Tashigang Rong

2016年4月24日日曜日

ヒマーチャル小出し劇場(34) ChainiのYogini Mandir

おもしろいので、大きい写真で。

















ここへ行ったのはもう十数年前ですが、その後日本語での報告は見当たらないので、日本人で行ったことがあるのは、いまだに建築家・神谷武夫先生と私だけかもしれません。

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車道からはずれて700m登ると、こんな風景が現れます。これがChaini/Chehni चैहनी(チェーニー)の村。古名はKuthed。あるいはDhadhiya Kot धाधिया कोट。標高は2100mくらい。

ここはKuthed Thakurが治める小王国の都でした。16世紀前半、当時ThakurであったDhadhu धाधू王が城塞を築いたといわれています。だからDhadhiya Kotとも呼ばれるわけ。

しかし、この王国は16世紀半ばにKullu कुल्लू王Bahadur Singh बाहादुर सिंहによって滅ぼされてしまいます。その後はDhadhu王妃Chainiにちなんでこの地名になったそうです。

見てわかる通り、これらの建築群はもともとは王城でしたが、現在は寺院として機能しています。手前の横長の建物は元・王宮、現在はKrishna Mandir कृष्ण मंदिर(Murlidhar Mandir मुरलीधर मंदिर)。後ろの角塔は元・物見塔/砦、現在はYogini Mandir योगिनी मंदिर。

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Yogini Mandirは40mという異例の高層建築。異様な姿に笑ってしまう程ですが、その一方で建築技術の高さには驚くばかりです。

この角塔は9層構造になりますが、下部4層はすべて石積みの土台。入口は第5層にあり、そこまでは急勾配の階段を昇ります。

この階段が実に恐ろしい。狭く急勾配である上に、段差が40cmもあります。極めつけには手すりがない。これで十数m昇るのはまさに恐怖。高所恐怖症の人はやめておいた方がいいです。

第5~8層の部屋には、何もありません。いくつか矢窓が開いているだけ。ここが本来軍事施設であったことがわかります。

最上階第9層がYogini योगिनीを祠った寺院。といっても、片隅に申しわけ程度に小さな祠が置かれ、mohra मोहरा(仮面)がいくつか祠られているいるだけ。やはり、当初から寺院として建てられたものではないことがわかります。











第9層の周囲に張り出しバルコニー。高さは1mしかないので這って巡りましたが、床板の隙間から40m下の地面が見えていて、階段にも増して恐ろしい。

この9層の威容を誇る塔ですが、実は元々11層であったそうです。1905年のKangra大地震で最上部が倒壊し、その後現在の姿に修復されたのだとか。かつては一体どんな姿だったのだろう、想像がつかない。

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この場所は、神谷先生に大体の場所を聞いて、あとは近くの町に着いてから、地元の人に訊きながらようやくたどり着いたものです。一般の地図には載っていません。あとで米軍の地図でようやく名前を見つけましたが・・・。地元の人も知っている人は少ないので、訊いて回るのだけでも一苦労です。

結構大変だったので、上掲の風景が眼前に現れた時の喜びはひとしおでした。

今は簡単に位置が見つかるので、これから行く日本人も出てくることでしょうね。

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参考:

・神谷武夫 (1998.5) インドの木造建築 第5章 ヒマラヤの寺院塔. まちなみ建築フォーラム, no.5.
http://www.kamit.jp/05_wooden/5_tower/tower.htm
・Mian Goverdhan Singh (1999) WOODEN TEMPLES OF HIMACHAL PRADESH. 151pp.+pls. Indus Publishing, New Delhi.(2016/04/30追加)
・神谷武夫 (1999.11) ヒマラヤの寺院塔(建築奇想天外). 建築雑誌, vol.114, no.1446, p.14.
http://www.kamit.jp/11_information/xtower.htm
・神谷武夫 (2002.1-7) インド・ヒマラヤ建築紀行 ヒマーチャル・プラデシュ州の木造建築. 建築東京, 2002.1-7.
http://www.kamit.jp/06_himalaya/malaya.htm#contents
・O.C.Handa (2002) TEMPLE ARCHITECTURE OF THE WESTERN HIMALAYA : WOODEN TEMPLES. 336pp.+pls. Indus Publishing, New Delhi.

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追記@2016/04/30

文献を追加。

2016年4月18日月曜日

ヒマーチャル小出し劇場(33) Dharamshalaのラトー

発作でDharamshala(McLeod Ganj)に行きたくなったので、テクチェン・チューリン ཐེག་ཆེན་ཆོས་གླིང་ theg chen chos gling(ダライラマ法王邸とNamgyal Gompaが置かれている丘)の周囲をめぐるリンコル གླིང་སྐོར་ gling skorの南外れにあるリクスム・ゴムポ རིགས་གསུམ་མགོན་པོ་ rigs gsum mgon po(三部主尊=観音、文殊、金剛手)のラトー ལྷ་ཐོ་ lha thoの写真を。











あー、見てるうちに本当に行きたくなったぞ。ここは何回巡ったか、数えきれない。

特にマニ車を無性に回したくなるんだよなあ。日本は通勤路にどうしてマニ車がないんだ、と思う。あれば毎日回せるのに。

2016年4月3日日曜日

David Snellgrove先生逝去

・Lion's Roar : BUDDHIST WISDOM FOR OUR TIME > Tibetologist David Snellgrove dies at 95 BY LILLY GREENBLATT| MARCH 28, 2016
http://www.lionsroar.com/tibetologist-david-snellgrove-dead-at-95/

チベット学の大家David Snellgrove先生が亡くなられました。95歳といいますから大往生ですね。むしろおめでたい、といっていいでしょう。

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私はチベット学についてちゃんとした場所で学んだことがないので、もっぱら本で学んできました。Snellgrove先生はその大事な師の一人です。私淑ってやつですか。

自分が持っているSnellgrove先生の本を挙げてみましょう。

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まず、私にとってはなんといってもこれ。

・David Snellgrove & Tadeusz Skorupski (1977) THE CULTURAL HERITAGE OF LADAKH 1 : CENTRAL LADAKH. xvi+144pp. Vikas Publishing House, Ghazibad (U.P.).
・David Snellgrove & Tadeusz Skorupski (1980) THE CULTURAL HERITAGE OF LADAKH 2 : ZANGSKAR AND THE CAVE TEMPLE. x+166pp. Vikas Publishing House, Ghazibad (U.P.).

ラダックの僧院の調査記録です。『ラダック』を書いた際にはおおいに参考にしました。Alchi Choskhor ཨལ་ལྕི་ཆོས་འཁོར་ al lci chos 'khorのすごさを最初に思い知ったのもこの本でした。

この本で見て、Phyang ཕྱང་ phyangのLamaguru བླ་མ་གུ་རུ་ bla ma gu ru(三角おにぎり形の岩に横向きに人が座った形に穴があいているというもの=グル・リンポチェの姿)を探しに行きました。いくら探しても見つからないので、三度目の探索で「これはもうGurudwaraにあるとしか思えない!」と行ってみたらようやく発見、というのも懐かしい。

Sumda Chung Gompa གསུམ་མདའ་ཆུང་དགོན་པ་ gsum mda' chung dgon pa、Sumda Chenmo གསུམ་མདའ་ཆེན་མོ་ gsum mda' chen moの木彫仏、Saspol Nyidaphug ས་སྤོ་ལ་ཉི་ཟླ་ཕུག་ sa spo la nyi zla phug、Dakmar Gompa བྲག་དམར་དགོན་པ་ brag dmar dgon paみな、ネタ元はこの本です。この本がなければ、その存在を知ることはなかったでしょう。

リンチェン・サンポ རིན་ཆེན་བཟང་པོ་ rin chen bzang poの伝記を初めて読んだのもこの本でした。

ラダックのガイドブックを作った人は皆、当然この本を参考にしているはずです。そういう意味では、ラダックへ旅した人は、Snellgrove先生に感謝しなくてはいけませんよ。

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・D.スネルグローヴ+H.リチャードソン・著, 奥山直司・訳 (1998.4) 『チベット文化史』. viii+437+41pp. 春秋社, 東京.
← 英語原版 : David Snellgrove & Hugh Richardson (1968) A CULTURAL HISTORY OF TIBET. 291pp.+pls. F.A. Praeger, New York.

チベット史・文化研究本の定番。最近新装版も出ていますから、ぜひ持っておきたい本です。

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・ディヴィット・スネルグローブ, 吉永定雄・訳 (1975.10) 『ヒマラヤ巡礼』(ヒマラヤ 人と辺境 5). 368+xiiipp.+pls. 白水社, 東京.
← 英語原版 : David Snellgrove (1961) HIMALAYAN PILGRIMAGE : A STUDY OF TIBETAN RELIGION BY A TRAVELER THROUGH WESTERN NEPAL. xvi+304pp. Bruno Cassirer, Oxford.

西ネパールDolpoの調査記録。Dolpo དོལ་པོ་ dol poは行ったことがないので、この本を読んでDolpoへのあこがれを掻き立てられたものです。

西欧におけるボン教研究の初期を知ることができる記録としても重要。

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・David Snellgrove (1995) BUDDHIST HIMALAYA : TRAVELS AND STUDIES IN QUEST OF THE ORIGINS AND NATURE OF TIBETAN RELIGION (NEW EDITION). xviii+344pp.+pls.+maps. Himalayan Book Sellers, Kathmandu.
← Original : (1957) Bruno Cassirer, Oxford.

チベット仏教の解説書なのですが、図版に使われている写真の多くがLahaul གར་ཞ་ gar zhaやSpiti སྤྱི་ཏི་ spyi tiのものなのです。

Snellgrove先生は1953年にLahaul~Spitiを訪れています。Snellgrove先生がこんなに早くからこの地域を調査していたとは・・・。もっと早く知りたかった。

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・David Snellgrove(ed./tr.) (1980) THE NINE WAYS OF BON : EXCERPTS FROM GZI-BRJID. vi+312pp.+pls. Prajna Press, Boulder (Colorado).
←Original : (1967) Oxford University Press, London.

ボン教開祖として崇められているシェンラブ・ミウォ གཤེན་རབ་མི་བོ་ gshen rab mi boの伝記には短・中・長の三種があります。

これは、そのうちの長編である

・སྤྲུལ་སྐུ་བློ་ལྡན་སྙིང་པོ། sprul sku blo ldan snying po/ (14C後) འདུས་པ་རིན་པོ་ཆེའི་རྒྱུད་དྲི་མ་མེད་པ་གཟི་བརྗིད་རབ་ཏུ་འབར་བའི་མདོ། 'dus pa rin po che'i rgyud dri ma med pa gzi brjid rab tu 'bar ba'i mdo/ (尊き集成であるところの無垢なるタントラ、宝石スィが輝きを燦然と放つがごとき経典)
→ 略称:གཟི་བརྗིད། gzi brjid/(スィジー/宝石スィの輝き)

より、ボン教の教義の部分を抜粋して翻訳したもの。

なかなか手頃な値段で売っていなくて、入手に苦労しました。2009年にBangkokのOrchid Pressから再刊されて、今は入手しやすくなっています。

類書に、

・Namkhai Norbu (1995) DRUNG, DEU AND BON : NARRATIONS, SYMBOLIC LANGUAGES AND THE BON TRADITION IN ANCIENT TIBET. xx+327pp. Library of Tibetan Works and Archives, Dharamsala.

があり、こちらも入手しやすいので、ボン教に興味を持っている方は是非どうぞ。これも興味深い内容ばかりで、読みながら大変興奮しました。

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最後に、Snellgrove先生の個人サイトです。経歴、著作リスト、貴重な写真と充実した内容。

・David L. Snellgrove (as of 2016/04/03)
http://www.dlsnellgrove.com/

Snellgrove先生ありがとうございました。