2016年6月15日水曜日

ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェの悪霊祓い(2)CDのシェードゥル儀軌

儀式の手順をCD解説に従って紹介しましょう。

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最初に諸尊への供養。

次にイェシェ・ドルジェ師のイダム ཡི་དམ་ yi dam(守護尊)であるカンドマ・ナクモ མཁའ་འགྲོ་མ་ནག་མོ་ mkha' 'gro ma nag moをはじめとする五カンドマを招来。師とカンドマ・ナクモは同化し、悪霊祓いに当たります。それ以外のカンドマには四方に鎮座していただき、逃げようとするゲク(悪霊)に備えていただきます。

師は木片にゲクの名を書き、対象者の髪の毛とともに包み、一度三角形の箱 ཧོམ་ཁུང་ hom khungに入れ、さらにそれらを取り出して羊皮の袋に入れます。

助手が踊りながらその袋で対象者を打ち、ゲクに袋の中の木片に入るよう諭します。

師もゲクに対し、「水・火・空気に逃げても、東西南北に逃げても、待ち受けるカンドマに捉えられるぞ。ならばこの木片に入るのが安全だ」と諭します。

木片を短剣で取り出し、大釜の湯に入れて煮ます。木片にゲクが入るまでこの過程が繰り返されます。

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木片にゲクが入ったことを確認したら、その木片は粉々に砕かれます。これで患者からゲクが取り除かれたことになります。

次にチョルテンの前に砕いた木片を供えます。ゲクをやさしく諭し、天界に再生し、再び害をなすことがないよう供養するのです。ゲクはチョルテンの頂上から天界へと送り出されます。

そして木片は燃やされ儀式は終了です。最後に師はダライ・ラマ法王(注)と導師であるキャブジェ・ドゥジョム・リンポチェ སྐྱབས་རྗེ་བདུད་འཇོམས་རིན་པོ་ཆེ་འཇིགས་བྲལ་ཡེ་ཤེས་རྡོ་རྗེ་ skyabs rje bdud 'joms rin po che 'jigs bral ye shes rdo rjeへの感謝の辞を述べ、すべての儀式が終了となります。

解説では省略されているようですが、招来したカンドマにお帰りいただく儀式も、おそらく執り行われているものと思われます。














CDライナーノーツのンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェ

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細かい点は別としても、世界各地に見られる悪霊祓い、邪気祓い、魔除けと共通する要素が見られます。対象者を叩いて悪霊を追い出そうとするのは、世界各地に共通。

形代を使って悪霊を対象者から引き離すところなどは、特に中国や日本の悪霊祓いに似ています。実際、これらは互いに関係があるでしょう。

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が、仏教の尊格であるカンドマの力を借りる点、悪霊を最終的に滅ぼしてしまうのではなく、天界に再生させる点が、仏教儀礼の一環としての特徴となっています。

カンドマを招来し自分と合一させるプロセスは、生起次第の儀礼にもなっている、というか、カンドマ供養の一環として悪霊祓いが位置づけられているとも言えます。

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(注)@2016/6/16

ニンマパ僧による、それも悪霊祓いの儀式にダライ・ラマ法王のお名前が出てくるのを奇異に感じる人がいるかもしれないが、お二方の間に深い信頼関係があることは、

2016年1月25日月曜日 ヒマーチャル小出し劇場(30) ンガッパ・イェシェ・ドルジェ・リンポチェとジルノン・カギェリン・ゴンパ

や、師の伝記

・Masha Woolf & Karen Blanc (1994) THE RAINMAKER : THE STORY OF VENERABLE NGAGPA YESHE DORJE RINPOCHE. xxii+106pp. Sigo Press, Boston.

を読んでいただければ、ある程度理解できると思う。

Tibetan Children's Village(TCV)での、師の困窮生活に手を差し伸べ、勇気づけ、チベット政府・宗教文化省に働きかけてZilnon Kagyeling Gompaの建立を推進したのは、法王なのだ。















1987年10月7日、Zilnon Kagyeling Gompa開山式でのグル・リンポチェの儀式に臨むダライ・ラマ法王(Woolf & Blanc (1994) p.65)

何度も書いているが、ダライ・ラマ法王の、ゲルクパの総帥でありながらも、宗派も宗教の違いも問わず、ニンマパにもボン教にもイスラム教にも等しく敬意を払う姿勢は、本当に素晴らしい。まさに菩薩であります。

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