2017年2月25日土曜日

「地層はねじ曲が」っているか?@Near Khalsi, Ladakh

Leh – Srinagar Roadは、Lehから西へ向かうと、Indus河沿いにあるドライブインの町Khalsi མཁར་ལ་རྩེ་ mkhar la rtseの先でIndus河から離れ、Lamayuru བླ་མ་ཡུ་རུ་ bla ma yu ru~Fotu La ཕུ་མཐོ་ལ་ phu mtho laへ向けて登っていきます。

最近は谷沿いの道が開通し、ほとんどの車両はそちらを通りますが、以前はヘアピン・カーブの連続で急斜面を登って行く、Hangru Loopsというルートを取っていました。


Google Mapより

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そのHangru Loopsで高度を上げ、その途中からIndus川沿いの山を見るとこんなふうに見えます↓


Google Earthより

上の地図の、北向き矢印の方向に見ています。

探せば、写真もあるような気がしますが、探すのも面倒なので、Google Earthで代用させていただきます。Lamayuruに行ったことのある人なら、見覚えある風景でしょう。

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この山並みには、地層がうねうねと波打っている様子が現れていますね。

なかなか美しい風景なのですが、これをTVのナレーションやガイドさんが「造山運動の力で、地層がぐにゃぐにゃにねじ曲がっている。自然の力の大きさを感じられる場所」などと説明しているのを、何度か聞いたことがあります。

それを聞くたびに「あ~あ、また言ってるよ。かわいそうに」と思うのですが、誰も指摘しないので、このままだと、本当にそうだと思い込んでしまう人が続出しそうです。

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本当に「地層はねじ曲がって」いるのでしょうか?たしかにこの角度だと、うねうねしているように見えますね。

では角度を変えて、反対側、北側から伏角70度くらいで、この山並みを見下ろしてみましょう。上の地図の南向き矢印。


Google Earthより

するとどうでしょう、地層は全然曲がってなどいず、非常に整然としていることがわかります。まっすぐです。ただし、地層の傾斜は平らではなく、ほとんど垂直になっています。

ほぼ垂直に立っている地層にギザギザに切れ込みを入れてみましょう。するとこうなります↓



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さあ、これでわかりましたね。

あの「うねうね」は、地層が曲がっている姿ではなく、単に地形のうねうねを見ているだけだったのです。

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現場で誰かが「地層がねじ曲げられている」と言っていたら、あとでこっそりこのことを教えてあげてくださいね。TVの人には・・・しょうがないので、その時は恥をかいてもらいましょう(笑)。

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もっとも、この地層が立ってしまったのは、もっと大きなスケールでの地層のねじ曲がり(褶曲)の一部で、たまたま垂直になっている部分を見ているわけです。

その意味では「造山運動の力で、地層がねじ曲がっている」のは間違いないのですが、あの部分だけを指して「地層がねじ曲がっている」という表現は誤り、ということです。

2017年2月19日日曜日

ギャロン・ドブルの上九節

もうひとつ珍しい場所のニュースが引っかかってきました。

・新華網 > 江宏景・撮影/四川宝興 藏族群衆歓度“上九節” 2017年02月05日 16:01:58
http://news.xinhuanet.com/photo/2017-02/05/c_1120413223.htm

宝興県は、四川省成都市の西南西約100km、雅安市の北約50km。青衣江流域の県。


Google Mapより

ここはかつて、ギャロン རྒྱལ་(མོ་)རོང་ rgyal (mo) rong 十八王国(嘉絨十八土司)の一つ、ドブル མདོ་འབུལ་ mdo 'bul(穆坪/木坪)王国があった場所。ギャロン十八王国の中では、最も漢族居住地に近いところにあります。チベット文化圏の最前線です。

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1373年、丹紫江楚(タシ・ギャムツォ བཀྲ་ཤིས་རྒྱ་མཚོ་ bkra shis rgya mtsho)が創建間もない明朝に帰順。宣慰使司・董卜韓胡(stong dponナントカか?)の称号を得て、現・宝興県内を領地とした。

ドブル王家は、元代にはガクスル འགག་ཟུར་ 'gag zur(瓦寺=現・臥龍)にいて、そこでも韓胡董卜を称していたという。15世紀になるとガクスルにも王家が誕生。

ガクスル王家はキュンポ ཁྱུང་པོ་ khyung po氏なので、ドブル王家もキュンポ氏かもしれない。それは後で紹介する「上九節」の祭りからも推察可能。

「韓胡」についても、「khyung po」かも?とも思っている。

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また、ドブル二代目王・喃噶(ナムカー ནམ་མཁའ་ nam mkha'?)、三代目王・克羅俄堅(クラ・ウギェン སྐུ་ལྷ་ཨོ་རྒྱན་ sku lha o rgyan?)、七代目王・喃呆(ノルブー ནོར་བུ་ nor bu?)は、同時代のトスキャブ ཁྲོ་སྐྱབས་ khro skyabs(綽斯甲)王名とよく似ている(注)。この時代はトスキャブ王がドブル王を兼任していたのかもしれない。ドブル王家は、このトスキャブ王家の分家にあたる可能性、婚姻関係にあった可能性も考慮する必要がありそう。

ギャロン諸王家の系譜や、王家同士の関係は、まだまだわからないことが多いので、今後の研究でドブル王家の素性がはっきりするかもしれない。

(注)

トスキャブは、ギャロンの中心部バルカム འབར་ཁམས་ 'bar khams 馬爾康の西約40km。

トスキャブ王
22代目 南木喀斯増(南木喀斯丹増) ནམ་མཁའ་བསྟེན་ (ནམ་མཁའ་བསྟན་འཛིན་) nam mkha' bsten (nam mkha' bstan 'dzin)
23代目 葛拉些日加爾 སྐུ་ལྷ་ཤེས་རབ་རྒྱལ་ sku lha shes rab rgyal
25代目 納武日加爾 ནོར་(བུ་)རྒྱལ་ nor (bu) rgyal

トスキャブ王家は、ギャロン諸王家の大半を占めるダ སྦྲ་ sbra氏一族の総本家に当たる。トスキャブ王家の系譜はよく残っていて、10世紀くらいまで遡れそうだが、唐代の東女国(諸国)とどう結びつくかはわかっていない。

sbra(ng)というのは、suvarna(gotra) सुवर्ण(गोत्र)(金(族))がチベット語化したものと考えられており、かつてチベット西部にいた女国=蘇跋那具怛羅の氏族が東遷したもの。女国東遷については、『安多政教史』などに書かれているので史実とみてよい。

なお唐代の、チベット西部の女国(東女国と呼ばれることもある)、ギャロンの東女国については、その名称がまぎらわしいので、私は「チベット西部の女国」=「上手女国」、「ギャロンの東女国」=「下手女国」と呼ぶようにしています。

この用語が広まるといいんだけど・・・。

ギャロン十八王国の分布



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18世紀の金川之役では、ドブル王国は清朝の側について、ギャロン諸王国を説得する側に回った。このため滅亡を免れた。

この頃は、ダルツェンド དར་རྩེ་མདོ་ dar rtse mdo(打箭炉/康定)のチャクラ ལྕགས་ལ་ lcags la王家(明正土司)と婚姻関係を結び、深い関係となっていた。なお、チャクラ王家は、ダ氏でもキュンポ氏でもなく、ミニャク མི་ཉག mi nyag(タングート)系氏族。

18世紀初、チャクラ王家からドブル王家に嫁いだ桑結 སེང་གེ seng ge センゲは、夫・雍中七立(雍中七力) གཡུང་དྲུང་འཕྲིན་ལས་ g-yung drung 'phrin las ユンドゥン・ティンレー[位:1710]の死後、ドブル女王となる[位:1710-25]。

チャクラ女王であった母(?)・工喀 ཀུན་དགའ་ kun dga' クンガー[位:1701-17]が死去すると、桑結はチャクラ女王も兼任[位:1717-25]。桑結の子・堅参達結 རྒྱལ་མཚན་རྡོ་རྗེ་ rgyal mtshan rdo rje ギャルツェン・ドルジェ[位:17125-33]もチャクラ王・ドブル王を兼任した。

ギャロン諸王国間では、このような婚姻関係が盛んに結ばれており、はっきり書かれているわけではないが、複数の国王を兼任している人物がかなりいると思われます。

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清朝滅亡後もドブル王国は存続してきたが、「改土帰流」の流れには逆らえず、1928年に王制は廃止。宝興県が設置された。

中心地は宝興鎮だが、ここは漢族圏に近いため、古くから漢化が著しかった。TV番組などで見る限り、チベット色は薄い場所のよう。

奥地にある磽磧蔵族郷(བོད་གྲོང་ bod grong)にはまだまだチベット文化が色濃く残っています。上記の祭りの記事は、この磽磧蔵族郷が舞台。やっと記事の話まで戻ってきた。

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「上九節」はチベットの旧正月ロサル ལོ་གསར་ lo gsar中国の旧正月・春節(を採用している(追記参照))から九日目を祝う祭り。豊作祈願の要素が強いようだ。ドブルに特有の祭りらしいが(追記参照)、由来や式次第については

・中文百科在線 網路百科新概念 > 上九節( 最新編輯:hcl112233 (2011/10/8 14:48:52))
http://www.zwbk.org/zh-tw/Lemma_Show/218532.aspx

が詳しい。

これによると、「正月九日目に、上天より派遣された神鳥(嘉窮)=キュン ཁྱུང་ khyung=Garudaが、人々を苦しめていた大蛇を退治したことを祝う祭り」だという。やはり、ダ氏/キュンポ氏(セ བསེ་ bse部族)が持つキュン神話が出てきました。キュンはセ部族のトーテムであり、彼らはキュンの子孫と称しているのです。

しかし、神話はさておき、ロサル九日目というのがどっから来た風習なのかは、今ひとつわからない。

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式次第を見てみると「天鵝孵蛋」という催し物もある。どうもガルーダが卵を産み、そこから諸族が生まれていった、という起源神話らしいが、催し物を見ると、あまりその色彩はないですね。

広場の中央に高く積んだ、足場と丸太の柱の上での曲芸が主になっているよう。ひと通り見ても、ガルーダらしき姿がない。オリジナルからはだいぶ変形しているような気がした。

祭りの写真ではやたらと竜が出てくる。これは悪役であったはずの大蛇が、いつの間にか竜に変わってしまったのだろう。そして、あたかも竜が主役のように幅を利かせ、ガルーダはその姿すら見えない。

かなり、漢族の祭りの影響が強くなっているように見受けられました。

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この祭りが開かれている磽磧蔵族郷をGoogle Mapで見ると、なんとその中心部には巨大なダムが出来て水没しているではありませんか!びっくり。

幸いその周辺部の山腹に集落がたくさんあるので、住民はそちらに移住しているのだろうけど、中国の変わり様はとにかく早い。

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ギャロンは四川省にあり、カムにほど近いが、アムド文化圏なのです。記事の写真を見ても、毛皮の帽子などはアムドっぽい。ドブルがギャロン十八王国の一つであることが実感できますね。

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この地域はかつて日本のTV番組でも紹介されたことがあります。

・地球に好奇心 パンダ 野生の謎に迫る 中国原始の森で何が? 2002-05-04 NHK-BS2
制作:博宣インターナショナル
四川省宝興県(旧・ドブル王国=穆坪土司領内)パンダ保護研究所の保護活動と、奥地の磽磧蔵族郷で野生パンダを追う。レッサーパンダの映像も。75min.。

自然の紹介が中心で、チベット文化については少しだけ。すごく地味な番組でしたが、レッサーパンダは面白かった。

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一般にはチベット文化圏としては知られておらず、ガイドブックなどでも取り上げられたことがない地域だが、なかなかおもしろそうな場所ですね。

成都からも近く、山越えもないので、これから観光地として急速に発展していくかもしれない。私も一度行きたいなあ。ギャロン方面は一度も行ったことがない。

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文献 :

・智観巴・貢却乎丹巴繞吉・著, 呉均+毛継祖+馬世林・訳 (1989.4) 『安多政教史』. 742pp. 甘粛民族出版社, 蘭州.
・青海省社会科学院藏学研究所・編, 陳慶英・主編 (1991.6) 『中国藏族部落』. 14+5+651pp.
・雀丹 (1995.12) 『嘉絨藏族史志』. 3+806pp. 民族出版社, 北京.

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(追記)@2017/02/27

今気づいたのだが、上九節が行われるのは、「ロサルから九日目」ではなく、「春節から九日目」でした。

・松岡正子+高山茂 (1994.10) ギャロン・チベット族の年中行事と芸能. 比較民俗研究, no.10, pp.102-132.
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4470&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1

を見ると、ギャロンの特に漢族居住地に近い地域では、ロサルではなく春節を祝うところがあるらしい。それよりも、ギャロンの正月11月を祝う地域が多いらしい。かなり複雑ですね。

この論文では、もう一つ面白い記事を見つけた。上述のドブルの上九節と同じ祭りが、大金県(チュチェン/促侵/ラブテン)にもあるらしい。名称は「上九会」。チュチェン王家もキュンポ氏である。

2017年2月15日水曜日

雲南のモンゴル人+四川のモンゴル人

Himalayaの西はずれBaltistanから一転して、今度は東はずれ雲南です。

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私はGoogle Newsをカスタマイズして、チベット各地やヒマラヤ周辺、そしてモンゴルのニュースを表示できるようにしています。

カム・アムド方面はなかなか設定が難しくて、「四川|青海|甘粛|云南 藏族|蒙古|裕固|羌」という検索キーワードでなんとかニュースを表示させています。

チベット人だけではなくて、デード・モンゴル(青海モンゴル)のニュースも知りたいと思って「蒙古」というキーワードを入れているのですが、先日、意外にも雲南省のモンゴル人(雲南蒙古族)が引っかかってきました。初めてです。これは珍しい。

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・捜狐 > 旅游 > 肖育文/云南蒙古人,在紅土高原上繁衍生息了7百多年 2017-02-10 02:38
http://mt.sohu.com/travel/d20170210/125887707_154718.shtml

昆明市の南約70km、玉渓市通海県興蒙蒙古族郷。ここには約5000人の蒙古族(喀卓(ka zhuo)人)が住んでいます。雲南省在住の蒙古族の約半数がここにいます。

場所はこちら↓

















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見たところ、モンゴルの習俗は男性の民族衣装に色濃く残っているが、もしかするとこれは最近の復興かもしれない。女性の民族衣装などは、モンゴルというよりは雲南の少数民族との共通点が多く、一見しただけではモンゴルとは思えない。

言語はちゃんとモンゴル語。しかしモンゴル本土から孤立して700年。かなり独特なモンゴル語に進化しているらしい。

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はるか700年前、モンケの時代に雲南・大理王国を占領したモンゴル帝国は、フビライの代にはその子フゲチ(忽哥赤)を雲南王として置いた。

現在の通海県にもモンゴル駐屯軍が配され、現在の通海蒙古族はその子孫である。

雲南は、元代を通じてフビライの孫カマラ(チンキムの子)の系譜が梁王として雲南全域を治め、フゲチの子孫が雲南王として大理周辺を所領としていた。

1368年、大ハーン・トゴン・テムル(順帝)が大都を捨て北帰すると、多くのモンゴル人がそれに従った。しかし漢土に残ったモンゴル人もいた。

漢土に残ったモンゴル王侯の中には、明朝に抵抗していた勢力もいた。雲南の梁王(フゲチの子孫は代々雲南王だが、最後だけ梁王)把匝刺瓦児蜜(バツァラ・ワルミ)はその一人。しかしその梁王も1381年に明に投降。これでモンゴルによる雲南支配は終わった。

通海蒙古族もこの地に居残り、杞麗湖で漁業を営んできた。漁業とモンゴル人とはなんというミスマッチ。

その後、杞麗湖は干拓されて半分くらいの面積になってしまった。興蒙蒙古族郷も湖畔からかなり離れてしまったため、産業は今は農業と建築業が中心。

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実は私は雲南省には1回しか行ったことがなく、この興蒙蒙古族郷のことも知ってはいたのだが、そこまで手は回らなかった。いつか行ってみたいもんです。

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実は、興蒙蒙古族郷の他にも、四川省~雲南省には、このような元代モンゴル人の末裔があちこちにいます。

その中の一つが四川省・凉山彝族自治州・木里藏族自治県・屋脚蒙古族郷(瀘沽湖の北約20km)。ここには約750人のモンゴル人が住んでいます。

こちらは、

・テレビ東京+PROTX (1993.7) 日本人の源流 ヒマラヤ最東端 秘境に生きる女たち ムーリ高地. テレビ東京.

の一部で、その映像が紹介されたことがありますね。

モンゴル人らしさもところどころに残っていましたが、こちらも周辺民族、特に彝族からの影響が強く、民族衣装ではすぐには見分けがつきません。

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四川省には、この元代モンゴルの末裔の他に、清代の17世紀に満州兵と共に駐屯したモンゴル兵の子孫もいます。成都市が中心。人口約1000人。しかしこちらは、満族と共に早くから漢族に同化してしまい、あまり目立つ存在ではないようです。

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しかし、ロシアのKalmuyk(+テュルク化したTatar諸民族)、AfghanistanのMoghol、(ペルシア系言語話者になっているが)Hazara、それに雲南・四川の蒙古族と、モンゴルの広がりは本当にすごいですね。もちろん、チベット在住のモンゴル人(+チベット化したモンゴル末裔)も。

ブフ(モンゴル相撲)の世界大会には、ぜひこれらのモンゴル人たちも呼んで、本当の「世界大会」にしてほしい。

まあ、大モンゴルの結束を心底警戒している、中国やロシアに邪魔されるとは思うんだけど・・・。

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文献:

・四川省民族研究所 (1982.8) 蒙古族. 四川民族研究所・編 『四川少数民族』所収. pp.98-101. 四川民族出版社, 成都.
・木村肥佐生+鯉淵信一 (1984.11) 中国・雲南蒙古族研究ノート. アジア研究所紀要, no.11, pp.77-112.
・鄧啓耀 (1990.4) 蒙古[モンゴル]族. 中国雲南人民出版社・編,宋恩常・主編 『雲南の少数民族』所収. pp.196-203. 日本放送出版協会, 東京.
・鎌澤久也・文+写真, 楊海英・文 (1993秋) フビライの末裔たち. 季刊民族学, vol.17, no.4, pp.30-43.
・松沢哲郎+成瀬哲生+池上 哲司+辻本雅史 (1994.12) 少数民族のアイデンティティー 中国雲南省の蒙古族の調査から. ヒマラヤ学誌, no.5, pp.159-168.
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185906/1/himaraya_05_159.pdf
・成瀬哲生 (1996.5) 雲南モンゴル族の村・興蒙雑考. ヒマラヤ学誌, no.6, pp.67-72.
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185924/1/himaraya_06_67.pdf
・ユ ヒョヂョン (2002) 「飛び地の捨て子」か「新モンゴル人」か 中国雲南のモンゴル族. 東西南北-和光大学総合文化研究所年報, 2002, pp.109-117.

他にも、単行本の一部に含まれているかもしれないが、今は調べきれない。

Web上のもの

・中国国家地理網/中華遺産 > 民族與宗教 > 肖育文/変遷与固守中的雲南蒙古人(中華遺産 2009年第11期)
http://www.dili360.com/ch/article/p5350c3d9e964270.htm
・錦達/錦達的博客 > 到雲南走訪当地的蒙古族同胞 (2013-09-06 13:13:23)
http://blog.sina.com.cn/s/blog_53e218e00101cqfh.html
・豆辯 > 満族心 > 歴史 > 張利/成都市満族蒙古族歴史文化変遷(2014-02-03 16:12:15)
https://site.douban.com/125457/widget/notes/4971340/note/329166151/
・雲南省人民政府 > 旅游雲南 > 雲南少数民族 > 蒙古族(as of 2017/02/15)
http://www.yn.gov.cn/yn_lyyn/yn_ssmz/201211/t20121129_8732.html

2017年2月11日土曜日

Baltistan Arandoの雪崩被害

・INTERNATIONAL THE NEWS > National > Gilgit-Baltistan: Village under threat from glacier as all routes remain blocked (By Web Desk, February 08, 2017)
https://www.thenews.com.pk/latest/184849-Gilgit-Baltistan-Village-under-threat-from-glacier-as-all-routes-remain-blocked

Baltistanの奥地Arando(注)という場所で、氷河が崩壊し被害が出ているようです。

(注) Arandoはおそらくバルティ語(チベット語方言)の地名だが、チベット文字ではどういうスペルか今のところ不明。「ndo」はおそらく「མདོ་ mdo (川の)合流地点」。

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Arandoの場所はこちら↓












Google Mapより

Baltistanの中心地SkarduからShigar Nalla沿いに北へ約80km。人口などはわかりませんが、Google Mapで見ると、住宅は50軒程度、人口は300人位でしょうか。

Shigar Nalla南河畔にありますが、Shigar NallaはArandoのすぐ上流(西)でその名をChogo Lungma ཆུང་ངུ་ལུང་མ་ chung ngu lung maと名を変えます。そして、その上流部には、長大な氷河が発達しています(Chogo Lungma Glacier)。

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上記の記事では、氷河が「gliding=すべっている」と表現されています。そこで思い出したのが、以前取り上げた

2016年10月27日木曜日 ンガリー・アル・ツォ湖畔の雪崩の謎(続報)
2016年9月12日月曜日~2016年9月18日日曜日 ンガリー・アル・ツォ湖畔の雪崩の謎(1)~(4)

ここでは「サージ」という現象に起因する氷河の崩壊で、雪崩が平地を2km余りも滑って行くという、驚異的な現象を起こしていました。

このArandoでもこの氷河サージが起きているのではなかろうか?と考え、ちょっと調べてみました。

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Google Mapより

これがArando周辺の衛星写真ですが、Chogo Lungma氷河の末端は、Arandoの西約1kmまで迫っています。

このChogo Lungma氷河が崩壊したのでしょうか?どうもそれは考えにくい。

というのは、上記アル・ツォ湖畔の雪崩は、山地の急傾斜地にある氷河が崩壊し、直下の平地になだれ込んだものでした。

ところが、Chogo Lungma氷河は、かなり上流までゆるい傾斜が続いています。たとえ仮にChogo Lungma氷河でサージ現象が起きたとしても、平地を1kmも滑る雪崩を発生させる重力エネルギーがあるような気がしない。

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Arandoの南に急傾斜の谷があり、村のすぐ東には、この谷からもたらされた土砂が大量に堆積しているのが見える。雪崩を起こしたのはこちらの谷であろう。

よくよく見ると、その土砂は大量で、大きな岩も含んでいるなど淘汰が非常に悪い。通常の氷河末端河川でもたらされた、というよりは暴発的な雪崩、あるいは土砂崩れでもたらされた土砂のように見える。

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Google EarthでArandoの北東から眺めてみましょう。















Google Earthより

かなり凶悪な地形であることがわかります。

最上流部には複数の氷河が発達していますが、中流部には氷河はありません。

しかしその山肌を見ると、明るくフレッシュな色をしています。この部分には最近まで氷河があって、それが崩壊して雪崩・土砂崩れを起こしたものとみられます。氷河が崩壊した際に、山肌も削り取りながら下って行ったのではないでしょうか。

歴史上それが何度も繰り返されてきたのでしょう。Arando周辺には分厚く土砂が積もり、扇状地とも崖錐ともつかない急斜面が形成されています。

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もうちょっと引いた絵も見てみましょう。












Google Mapより

上流部には氷河が5本も発達していますね。中流部には氷河はありませんが、この写真は2016年に撮影されたもののようですので、そこにはまだ氷河は復活してはいないでしょう。

とすれば、今回崩壊を起こしているのは上流部にある氷河なのかもしれません。

(追記)@2017/02/11

と思ったら、拡大してよくよく見ると、中流部でも上の方にはすでに氷河がある。表面が汚れているので、わかりにくかった。失礼しました。

今回崩壊したのはこちらでしょうかね。

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アル・ツォ湖畔の氷河崩壊では、降水量の増加によって氷河下面に水がたまり、氷河が滑り落ちる「サージ」という現象が想定されています。

しかしアル・ツォ湖畔の氷河崩壊が起きたのは夏でした。今回は真冬です。サージで説明できるのでしょうか?何か別のメカニズムなのかもしれません。

(追記)@2017/02/11

ニュースでは「氷河の崩壊」とされているようですが、ここ数日の積雪による表層雪崩が発生し、途中で氷河の一部を剥ぎとってその氷塊も到達した、ということかも・・・などとも考えています。

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それよりも、今はArandoの村人への救援が重要。Arandoでは数日で3mの積雪があり、交通はシャットアウト。救援隊は徒歩でArandoへ向かっているとのことです。

被害が最小限に留まることを祈ります。

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(追記)@2017/02/14

Arandoの標高はというと、約2760m。Baltistanは低い。こんな奥地に行ってもまだ3000mに達しないのだ。

Arandoの美しい写真↓

・Twitter > PakistanTravelGuide@PakTravelGuide > Arando Shigar Skd , Gilgit Baltistan Pakistan ان وادیوں میں یونہی ملتے رہیں گے...
دل میں وفا کے دیے جلتے رہیں گے... By : ImtiZs photographY (9:31 - 2017年2月9日)
https://twitter.com/search?f=tweets&q=arando%20baltistan&src=typd

日付がごく最近だが、上記のニュースを見て貼ったのかもしれない。それにしてもすさまじい風景ですね。早く平穏な日々が戻ることを・・・。

ところで、この写真はArandoと言っても、本村から3kmほど東にある扇状地上の小さな集落(2710m)だと思う。分村なのかもしれない。

Google Earthで見るとこんな感じ。たぶんここでしょう。












Google Earthより

2017年2月3日金曜日

意外なチベットものマンガ ふみふみこ 『タルパちゃん』

意外なところでチベットものに遭遇。

・ふみふみこ (2014.10) 『人工精霊 タルパちゃん』(KC Kiss). 123pp. 講談社, 東京.
← 初出 : Kiss plus, 2013年5月号~2014年3月号/Kiss, 2014年4月号, 11月号.














装丁 : 川名潤(pri graphics inc.)

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「タルパ」とはなんでしょうか?このマンガにも軽く説明があります。














同書, pp.6-7.

タルパとは

何もないところからつくりだす
会話のできる架空人物・キャラクターのこと

妄想では自分で考えないと会話できないが
訓練してタルパをつくりだせば
他人と会話しているような会話ができ、
その姿を見ることもできる

タルパのつくりかた

1. つくりたいキャラクターの写真、絵を用意する そしてそのキャラの細かい性格を決める

2. 何回もそのキャラに話しかけ その返事をする様子を想像する その返事は設定したキャラの性格にあった返事を考える

最後に写真や絵を使わず そのキャラを視覚化していく

暗くした部屋で 壁などに向かい合わせに座り 空中に向けてイメージすると 良い

だそうです。

へえ、こんな妄想で作る人格が、けっこう一般的になっていたなんて・・・。

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このマンガに出てくる「タルパ」は、

ペンギン(小言の多いお祖母ちゃんがモデル)=ぽんちゃん(表紙の子)
あまり役に立たない世話を焼いてくれる小人
愚痴を聞いてくれるワニ
相づちを打ってくれるだけのおばあちゃん
迷った時の最後のひと押しをしてくれる仙人
話しかける練習用同級生
俺様系彼氏
コスプレ魔法少女のマスコット
子犬系彼氏

なんだか、あとの方ほどヤバそうですが・・・・。

最近は女子でも、妄想癖があることをカミングアウトする人が出てきていますが、ここまで露わにするようになっていたとはなあ。

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で、「女子の考えることはわかんねーや、ついて行けない・・・」とボヤきつつ読み進めたところ・・・、














同書, p.32

タルパ――――――――

それは無から作り出す
会話のできる架空人物・キャラクターのことである

チベット密教の秘奥義であり
姿も見え 会話もできる
そうした霊体を修行により
作り出すことができるのである!!

これぞチベット三千年の歴史!

「えーっ!?」ですよ。まさか、こんなところにチベット密教が登場するとは・・・。

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というわけで、さっそく調べたところ・・・

何のことはない。すでにWikipediaに項目が立っているではないですか。知らなんだ、そんなポピュラーになっているものだったとは。項目名は「トゥルパ」ですが。

・ウィキペディア > トゥルパ (最終更新 2016年11月18日 (金) 04:50)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%91

「トゥルパ སྤྲུལ་པ་ sprul pa 化身」が、発音に従って「tulpa」と表記され、これを英語風読みをして「タルパ」になったようです。

また「英語風の読み」が悪さをしてますね。なんとかならんもんかなあ。

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一方、2ちゃんねらー御用達のVikipedia フリーVIP百科事典には「タルパ」そのものの項目が立てられています。

・Vikipedia フリーVIP百科事典 > タルパ(最終更新日時は 2015年12月17日 (木) 14:45)
http://2ch.me/vikipedia/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%91

意外にまともな記述。「タルパ」の現状についてはこちらを見たほうがわかりやすいでしょう。

「イマジナリーフレンド」という、マンガとほぼ同一の概念が紹介されていますね。

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チベット密教の修行では、神仏を観想し、眼前に神仏が降臨していると想像し、その神仏と自己を同一化させる、生起次第というヨーガを実践します。

降臨した神仏は人や物に宿る場合もあり、その場合が「トゥルパ」になります。特に高位の神仏、あるいは高僧が死後、人に宿る場合、その尊敬語として「トゥルク སྤྲུལ་སྐུ sprul sku」と呼ばれます。

このうち、観想による神仏の降臨を少し曲解し、さらに宗教性を消したものが、このマンガで言う「タルパ」になるでしょうか。

「トゥルパ」が「タルパ」になるまでに、途中に神智学あたりが噛んでいるような気もしますが、今はそこまで調べる気はしないなあ。

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・ポックル/タルパ資料室(2016/02~)
http://tulpa.blog.jp/

というblogもあります。

タルパ誤解の流れ 2016年02月03日
http://tulpa.blog.jp/archives/3534559.html

あたりはなかなかおもしろい。が、あとの項目はタイトルだけで中身なし。宣言したらちゃんと書いてほしいなあ(あっ、人のことは言えない身だった)。

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それにしても、自分の知らないところで、意外な形でチベットものが浸透していることを知って驚いた一件でした。